1983年、私は大学を卒業して、コンピュータメーカーに就職し、人工知能のプロジェクトに配属になった。この年は、後に、この国のAI元年と呼ばれることになる。
というのも、国産コンピュータメーカー各社で、二つのAI専用言語、Prolog(プロログ)とLISP(リスプ)のプログラマ育成が大々的に始まった年からだ。ときに、世界は第二次AIブームに突入。ニューラルネットワーク、自然言語解析、テキストマイニング、音声認識などの人工知能の基盤技術の研究開発が始まった。私はPrologプログラマ第一期生として、人工知能開発の最前線にいた。今思えば、「未来の始まる場所」にいたのである。
1980年代の後半、下働きのエンジニアとして奔走していた私に、ある日、本格的な開発ミッションが与えられた。ヒトとAIの対話の実現である。
電力中央研究所からもたらされた「願い」は、原子力発電所の技師と日本語で対話をして、データ検索をサポートする「35歳美人女性司書」をコンピュータ上に実現することだった。今のことばで言えば、女性司書AIである。
しかし、AIが今のように一般的な用語でなかった時代、発注側は、AIとも思っていなかった。発注書類でも、運用中にも、最後まで〝彼女〟がAIと呼ばれたことはなかった。
当時の自動翻訳において、私が所属する富士通は、既に業界一の成果を誇っていた。自動翻訳機ATLAS(アトラス)である。私は、このプロジェクトにも、音声認識のプロジェクトにも参画しており、「自然言語解析に長けた中堅エンジニア」と認識されていた。
しかし、翻訳と対話は、まったく違う技術である。対話は、状況や相手の意図を勘案しながら、話者が共に文脈を紡ぐ行為であり、「既にある文脈」を翻訳するのとはまた違う難しさがある。しかも、当時のビジネスコンピュータの主流である大型機のバッチ環境においては、日本語の実時間処理の対話は研究実績もなく、不可能とさえ言われていた。
その不可能の扉を押し開けることを、富士通は決心したのである。おかげで私は、大型機環境で「世界初の日本語対話」を実現し、前例のない女性司書AIを生み出すことができた。1991年4月のことである。
音声認識も音声合成も動画再生技術も整っていなかった時代、〝彼女〟は、声も持たず、ビジュアルもなかった。文字ベースで対話をするのである。「1970年代に、アメリカで細管破損の事故あったよね?」「○○二号機のこのケースですか?」のように。
声もビジュアルもないのに、ことばだけで、「彼女」は美人だと言われた。稼働1か月後に行われた利用者アンケートの余白に、「彼女は美人さんだね」と書いてあったくらいだ。
さて、そんな〝彼女〟に、ある日、クレームが付いた。「はい」が続くと冷たいと言うのだ。生身の人間なら、「はい」「ええ」「そうです」などを混ぜ込む。それが、検索者のストレスを軽減してくれる。しかし〝彼女〟は、「はい」を何回でも重ねていくので、冷たく不機嫌な感じがしてしまうのだ。
そこで私は、「はい」「ええ」「そう」をランダムに選択して使うことにした。ところが、これが大きな違和感を生んだ。
「はい」は確実な感じがして、「ええ」は曖昧な感じがする。曖昧な感じがするからこそ、たまの「ええ」は優しくていいのだけど、ただ、結論を急がなくてはいけないこの局面で「ええ」は違和感がある。利用者の感想をまとめると、そういうことになるのだが、ここに一つ、疑問が残る。── なぜ「はい」は確実な感じがして(でも冷たい)のか、なぜ「ええ」は曖昧な感じがして(でも優しい)のか。
システムを開発する側としては、ここを明らかにしないと、問題は解決しない。
ことばには意味とは別にイメージを伝える力がある。そのイメージとは、いかなるものなのか。それを解明しなければ、私には、機械に言葉をしゃべらせる権利がないとさえ思えた。私のAIに触れるユーザに、不快な思いをさせたくないから。真夜中、端末に向かう技師たちが、〝彼女〟から疎外感を味わうなんて悲しすぎる。
このとき、私は、人生を捧げることになる研究テーマに出逢ったのである。
最初は、既存の学問に頼ってみた。しかしながら、語感に関する研究は、言語学の領域には確立されていなかった。逆に、現代言語学の祖ソシュールによって「言語記号の音声面(能記)と意味内容面(所記)との間には自然な結びつきが存在しない」と宣言されていたくらいである。
認知心理学には、ブーバキキ効果と言う命題があった。トゲトゲの星型図形と、モクモクの雲形図形を被験者に見せて、「ある国では、この二つの図形は、ブーバとキキと呼ばれている。どちらがブーバで、どちらがキキだと思いますか?」と質問すると、なんと97%以上もの人が、星型図形をキキ、雲形図形をブーバと答える。明らかに語感とイメージに相関関係はあるのだ。しかし、なぜかは解明されていなかった。
つながりVol.31、夏号(2019年7月発行)掲載記事より抜粋