ここのところ、AIをテーマにしたドラマや漫画、映画の製作サイドから、アイデアを精査してほしいという要請が相次いでいる。
そんなとき、必ず聞かれる質問がある。「脳から、記憶を取り出すことは可能ですか?」
ここに一人の、妻を失ったAI博士がいるとする。彼は、愛する妻の記憶をAIにダウンロードできますか? 愛する妻の脳の記憶を、他の女性に移植することは?
AIの目的は、「一般的あるいは総合的な知性」を機械に学習させることであって、「特定の個人の脳」を再現することじゃない。誰かに教育されることによって、その人のような口を利いたりする一面はあっても、「その人」になることはない。それは、人間が「新しい子」を産むことはできても、「あの子」を産めないのと同じくらい、不可能でナンセンスでグロテスクな発想なのだが、だからこそ、ドラマメーカーの気を引くのだろう。
あるいは、「誰かを再現しようとして、けっして再現できない」ことを確認して、安心したいのかもしれない。そこに、「ひとりひとりが、大切なオンリーワン」であることの証明があるような気がして。
それが目的なら、この質問が頻出する理由がわかる。自己の存在証明は、人類の(正確に言えば男たちの)悲願だからね。
太古の昔から、人は、存在証明をしたがっていた。哲学者は、真理とは何か、ふりかえって存在とは何かを問い続け、芸術家は、脳内世界を出力することで、自己価値を確認し続ける。
戦いに勝つ、発見・発明・開発をする、富を手に入れる、名誉を手に入れる。あるいは、コツコツと働き、家族が幸福であることで、自己の存在価値を知ることもあろう。男たちは、ここ何万年も、存在価値を証明し続けているのである。
ここで、あえて「男たち」としたのは、女は、そもそも、その俎上にいないからだ。女性脳は、「共感して、察すること」すなわち「感じること」を、主目的にしている。子育てに必要な感性の第一要件だからだ。
主観こそが、女性脳のメインテーマだ。主観が強い女性でなければ、子どもなんて育てられない。隣の子がどんなに優秀でイケメンでも、うちの子が世界一大切に思える。別の部屋で寝ている子どもが夜中に熱を出すと、なぜか目が覚める。そんな母たちの主観と直感が、どれだけの命を救ってきたかわからない。というわけで、女性脳は「自らが感じる」ことだけで、十分に価値があり、それを脳が知っているのだ。美味しいものを美味しいと感じるだけで、今日もここに生きていることを、ふくよかに実感できる。男たちのように、歴史に名を残す必要もない。
なのに、かわいそうに男性脳は「問題解決をして、成果を得ること」を主目的として生きている。こちらは、客観性がメインテーマだ。瞬時に世界を把握して、距離や位置を測らなければ、獲物は狩れないし、家にも帰れない。
客観性によって脳が充足するので、勝利や成果、ひいては「愛する人の承認」がないと、存在証明が完結しない。幼い日は、母親に認められるために、やがて、恋人や妻のそれを糧にして、男たちは荒野に出ていくのである。
だからこそ、今は亡き「愛する妻」を再現したいというドラマが成立するのではないだろうか。よろこび上手な妻は、男性脳にとって、最高のアタッチメントである。それをもって、脳の中の「世界観」と「自分の存在証明」が、完結するのだから。
その証拠に、ドラマメーカーの誰一人として、「愛する夫」を再現しようとする女性AI開発者を発想したりしない。「愛する夫」を再現したい妻なんて、私にだって、想像もつかない。思いつく限りのあらゆる女性で想像してみても、まったくぴんと来ない。
ちなみに「よろこび上手な妻」とは、何でもすぐによろこんでくれる妻のことじゃない。それじゃ、つまらないでしょ? 私の母は、父にめちゃくちゃ厳しかったけど、その母がたまにちょっと嬉しそうにすると、父は有頂天になっていたもの。今になって思うと、母が父に厳しいのは、期待度が高かったからだ。あなたならできるでしょ、私が人生をかけた人だもの、というメッセージである。
というわけで、もしも現実に「愛する妻」を再現したいという男性が現れたならば、その妻は意外にも夫に厳しい妻だったはずである。たとえば、野村克也さんの奥様、沙知代さんのように。夫に手厳しい妻は、脳科学上、最高の妻なのだ。特に闘う男にとっては。
それにしても、手厳しい妻が機械で蘇る? 野村さんクラスの超ド級の懐がなければ無理なのでは? AIで「愛する妻」を再現したら、ふとAI妻を殺したくなった。なんていう星新一風のショートショートが書けそうである(微笑)
さて、では、あなたの愛しい妻はAIに搭載できるのか。あるいは、他の女性に移植できるのか。それについて、ひととき、妄想してみよう。
人間の脳で起こることは、ことごとく神経信号である。つまりは、電気信号にすぎない。したがって、それを電子的な媒体に写し取ることは、理論上、可能である。
ホルター心電計(24時間心電図測定器)のように、生体に装着して、脳神経信号をつぶさにモニタリングして記録していく装置が、未来に登場することは想像に難くない。
それを「愛する妻」に装着させて、記憶を想起させたり、新しい体験をさせたりすれば、そのときの彼女の脳で生じた神経信号特性が保存できる。当然、そのデータを、コンピュータにダウンロードすることはできる。
ならば、彼女と同じ反応をするAIを作ったり、他者の脳のシナプス結合を「彼女と同じ反応」をするように書き換えることだって、可能じゃないか。なんと、僕の「愛しい妻」は再現できるんですね! AI妻を出張にも連れていける!
と、よろこんだ皆さん(読者にいるかどうかはわからないが)、ちょっと待って。それが、そう簡単な話じゃないのだ。
妻が、ピンクベージュのバラを愛する人だったとする。
ということは、彼女の脳は、ピンクベージュのバラに特別な反応をする。その情報は、コンピュータにダウンロードできる。
だけど、脳に入ってくる視覚情報は、眼球と視神経を通過している。彼女の網膜がキャッチした色が脳に届いて、脳が反応しているのだ。
他の人の脳に、その「脳の反応」を移植することはできても、妻の眼球と視神経がなければ、脳への入力が同じにならない。その人は、同じバラを愛しはしない。
また、血液や臓器のホルモン量は、かなり意識を左右する。脳だけが同じ反応をしたとしても、同じ臓器、同じ成分の血液がなければ、人間としての出力は、けっして妻と同じにならないのである。
妻と同じ臓器を持ち、妻と同じ体験を重ねた個体だけが、それを可能にする。つまり、彼女の脳が使えるのは、この世にたった一人、本人しかない。
かけがえのないあなたの妻を、どうぞ、大切にしてください。
つながりVol.35、夏号(2020年7月発行)掲載記事より