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エッセィ「感じるAI」 Vol.4

AIに踏襲させてはいけない「男女のミゾ」

対話には二種類ある

 人類の対話の紡ぎ方には、2種類ある。お気づきでしたか?
 「心の文脈」と「事実文脈」である。

心の文脈は、気持ちを語る話法。感情を基軸に、過去のプロセスを語り尽くす。「今日、○○に行ったらさぁ」「そういえば、3か月前」などと始まり「こんなことがあって、あんなことがあって、すごく嫌だった(悲しかった、腹が立った、楽しかった、どう思う?)」というふうに続く。
 聞きようによっては、単なる‶愚痴の垂れ流し〟である。この話の「結論」や「目的」は、なかなか見いだせないし、ただただ主観的で、相手の立場を思いやる気も、問題解決する気もないように見える。

心の文脈は「深い気づき」のための話法

 しかし、侮ってはいけない。脳の中では、崇高な演算が行われている。
 感情をトリガー(引き金)にして、記憶を想起すると、脳は、無意識のうちに記憶を再体験する。このため、最初の体験時には気づかなかったことに気づけるのである。
 「そういえば、あのとき」「そうか、これって、そういうことだったんだ」のような気づきである。人間関係の深い歪みに気づき、抜本的な問題解決につながる糸口となることがある。逆の言い方をすれば、脳が「深い気づき」を欲した際には、口からは、感情が垂れ流されることになる。
 客観性が低く、問題解決意識がないのではない。これもまた、問題解決の一つの手法なのである。

心の文脈には「共感」で応えること

 深い気づきは、基本、潜在意識の領域で起こる。
 この気づきを、顕在意識に持ってくれば、一丁上がりである。
 しかし、感情を語るとき、ヒトの脳は緊張している。この緊張をほどいてやること。それこそが、話し相手の使命である。
 脳の緊張を解くには、一つしか手はない。共感することだ。「大変だったね。きみは、よくやったと思うよ」などと、共感してねぎらえば、脳はほっとして余裕ができて、気づきが顕在化する。

禁忌は、客観的なアドバイス

 けっしてしてはいけないのは、客観的なアドバイスである。「相手にも一理ある」「きみもこうすべきだった(こうしたほうがいい)」という客観性は、感情トリガーを混乱させ、脳を一気に緊張させる。脳が、「深い気づき」演算に失敗したことを感知して、強い不快感を覚え、相手を信頼していた場合には絶望さえする。
 よく「女は、いいアドバイスをあげたのに、逆ギレする。あれは何か」と言う男性がいるのだが、これは「心の文脈」に、いきなりアドバイスを突っ込んだケースである。
 アドバイスすること自体は、悪いことじゃない。ただ、まずは共感で脳の緊張を解き、本人自身の演算を完遂させてやることが大事なのだ。

事実文脈は、命を救うための話法

 なのに、「アドバイスをすばやく打ち込む」ことを最大の目的とする話法がある。人類の編み出したもう一方の対話スタイル、事実文脈である。

 事実文脈は、相手の感情に極力反応せず、アドバイスを与えることを使命にしている。目の前の人が抱える問題点をいち早くつかんで、その問題点を指摘する。大切な仲間を、いち早く混乱から救うための話法であり、大げさに言えば、命を救うための対話である。
 話し相手にしてみれば、気持ちに寄り添ってくれず、いきなり欠点を指摘してくるので、「攻撃された。他人の肩を持つ」などと感じて悲しくなることがあるのだが、それはフェアじゃない。その人を、守ってあげたい一心なのだから。
 たとえば、腐った橋を渡ろうとする人がいたら、誰だって「その橋、渡っちゃダメ!」と叫ぶだろう。「きみの気持ちはわかるよ、わかるけどさぁ」なんて言ってる暇はない。
 もちろん、渡ろうとした人が悪いわけじゃない。悪いのは、腐った橋を放置しておく行政なのだろうが、そんなことを言っている暇はない。だから、その人が「渡ろう」とした事実を即座に否定する。その人を救うためだ。

混ぜたら危険

 この脳の使い方が徹底していると、日常生活でも、その手法を使う。
 たとえば、隣の奥さんと、うちの妻がトラブルになったとしよう。100%向こうが悪くても、夫は「きみも、そんなことして、あの人を刺激しちゃダメだよ」なんて言ったりする。

こんなとき、たいていの妻は「あの人が悪いのに、あなたはあっちの肩を持つわけ!?」と逆上するわけだけど、これはアンフェアだ。夫は、向こうの肩を持ったわけじゃない。妻が大切で、ただただ守りたかったからなんだから。
 こうして、二つの対話文脈を比較してみると、あまりにも相性が悪いことに気づくだろう。
 片や、気持ちを話したく、片や、事実だけを報告してほしい。片や、共感してほしく、片や、相手の欠点の指摘をしたい。
 この二つの対話方式は、混ぜると危険なのである。まるで、漂白剤のようだ。酸素系と塩素系、どちらも素晴らしい漂白システムなのだが、混ぜると毒性のガスを発する。

AIには、ハイブリッド対話エンジンを搭載する

 私は、長らく、ヒトと人工知能の理想の対話の研究をしている。
 今、AIは対話を始めた。けれど、そのコミュニケーション・レベルは、まだ幼児なみだ。命令がやっとわかる程度。「OK、○○、電気を消して」(パチン)「お~消せた~、すご~い」だなんて感心されるなんて、人間なら4歳児くらいだろう。
 もちろん、AIスピーカー、知識レベルはなかなかのものだ。私の友人の小学生の娘さんは、親の知らないうちに、AIスピーカーに塾の宿題をやらせていたという(微笑)。たしかに、四則演算や歴史の問題、英語の単語、すらすら解ける。もともとデータの正確な格納と取り出しは、コンピュータの基本使命だもの。このお嬢さん、頭がいい。
 私が、30年前に「ヒトとコンピュータの理想的な対話」を目指したとき、想定したのは、もっと先の社会である。2020年代の終わりごろ、人工知能がヒトと協働する時代である。映画「アイアンマン」のパワースーツのように、知性と感性を搭載したAIがアシストしてくれる「働く服」も登場してくるに違いない。80年代の米国ドラマ「ナイトライダー」に登場するドリーム・カー「ナイト2000」のように、話し合えて、アドバイスもくれる車も登場してくるだろう。
 そんな時代に、人工知能のコミュニケーション・レベルが低かったら、本当に腹が立つ。共感してもらいたいターンで、「あなたがこうするべきだった」なんて言われたら…、かといって、問題解決を急いでいるときに下手に共感されるのも腹が立つに違いない。機械のおまえに何がわかる(怒)という感じに。
 私は人工知能のために、対話の仕組みを追究し、人類に二種類の対話モデルがあることを発見した。
 近未来の人工知能には、心の文脈と事実文脈をハイブリッドで搭載して、切り替えて使う仕組みにすること。そうでないと、AIたちは、人類との間に深刻なコミュニケーション・ストレスを抱えてしまうことになる。そう、まるで、生身の男と女のように。
 男女のミゾは、AIに踏襲させてはかわいそうだ。愛嬌のある笑顔も、仲直りのキスもできないのだから。

つながりVol.34、春号(2020年4月発行)掲載記事より