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エッセィ「感じるAI」 Vol.3

人類に残る、最後の仕事

時代の亀裂

 少し前、私は、17歳の女子高校生から、1通のメールを受けとった。
 「この質問を誰にしたらいいのかずっとわかりませんでした。しかし、黒川先生のことを知った今、黒川先生しかいないと思うようになりました。私は、高校二年生です。ほどなく、進路を決定しなければなりません。しかし、何を学んだらいいのか、途方に暮れています。10年後、世界はどうなっているのか。私は、何を学べば、社会の役に立つ大人になれるのか。もちろん、黒川先生に決めてくれなんて言いません。4つの質問に答えていただけないでしょうか」という趣旨の序があって、誰もが抱いている素朴な疑問がつづられていた。
 「人工知能に何ができますか」「人工知能は人を超えますか」「人工知能に仕事を奪われますか」「人類は人工知能に支配されますか」
 よくある質問なのに、私は、思わず姿勢を正してしまった。彼女の質問の動機が、私の胸を貫いたのだ。
 10年後のために、何を学べばいいのか、見当がつかない ——— 今の17歳は、自分が目指した職業が、人間に残っているかどうかさえわからないのである。
 おそらくここ10年で、世界は劇的に変わる。今のティーンエイジャーたちは、時代の大きな亀裂を見つめている若者たちだ。この先に何がつながっているのか、まったくわからない。いや、この‶クレバス〟の手前と向こうで、世界が本当につながっているのかも不確かなのである。大人に聞いても、埒が明かない。
 人類の長い歴史の中で、そんな立場に立たされた17歳が、かつていただろうか。

神聖な責務

これらの質問に、私はあまり真剣に応えてこなかった。マスコミが、人工知能の脅威を掻き立てるためのメタファーだと思っていたから。
 何万年の昔、人が道具を手にした瞬間から、人間の能力をアシストする道具は、人間の能力そのものを超えてきた。石斧が拳骨よりも破壊力に優れていること、ブルドーザーが人間より力持ちであること、車が人間より速く走ること、コンピュータの計算力・記憶力。そこに使い方の危険は伴うものの、何ら憂えることはない。AIも同じである。ほどなく、人々は、こんな質問があったことも忘れてしまうだろう。そう思っていたから。
 しかし、4つのシンプルな質問が、マスコミのメタファーとしてではなく、17歳の若者の、未来を思う真摯な気持ちから発せられたことに、姿勢を正さずにはいられなかった。
 この質問に、わかりやすく応えなければ。それは、人工知能と共に歩んで来た私の、神聖なる責務だと私は悟ったから。
 ここに、その回答をおすそ分けしようと思う。

人工知能には何ができますか?

 人が想像することは何でも。
 人工知能は、脳の認識特性をコンピュータ上にシミュレーションし、それを携帯電話や家電、車、ビルや工場のコントローラに実装していく技術。今できることが限られていても、未来できることは無限だ。ヒトの脳の中で行われる、あらゆる知的演算あるいは感性演算が、機械に実装されていくことになる。
 脳が解明されれば、人工知能にできることは増える。私が1988年に、人間の脳神経構造を模したニューラルネットワークをパソコン上に実現したとき、グリア細胞はまだ発見されていなかった。グリア細胞は、脳神経信号の制御に大きく寄与する細胞で、この働きがすべて解明され、AIに完全実装されると、また人間の秘めた才能を増幅することになるだろう。脳がお手本である限り、脳がすることはすべて、人工知能の射程範囲だ。

人工知能は人を超えますか?

 この質問は、ここ3年ほど、人類のトラウマのようだ。
 2016年3月、世界最強クラスと言われた韓国の囲碁棋士に、Google DeepMind社が開発した囲碁AI=アルファ碁が勝利した。「とうとう、人工知能が人類を超えた!」、そんな衝撃的なニュースが世界中に駆け巡った。
 人々は、私に訴える。「人工知能にできないことはあるはずだ。人工知能は、けっして人間を超えない。そうでしょう?」と。

 しかし、「人工知能は人間を超えるのか」に対しては、私の答えはクールだ。
 むろん、人工知能は、人間を超える。むしろ、超えないと意味はない。
 医療の現場では、今、惜しみなく、人類の成果がAIに注がれ始めている。AIは、パターン学習が大得意だ。画像やバイタルデータのようなパターン化できる入力に、わかりやすい判定を返す「分析」は、AIの適正フィールドだ。過去の分析事例を学習させれば、AIは、人間の分析エキスパートのように的確な判断を下してくれるようになる。しかも、早い。人間が2週間かかる分析を、ものの10分で済ましてしまう。がんの遺伝子変異を見つけ出すAIにおいては、人間が見逃した症例を発見し、人間の新たな治療法を示唆するまでに至っている。
 AIの分析力は、複数の優秀なエキスパートの総合力としての分析力である。一人の人間の能力を超えるのは間違いがない。24時間働けて、気分にむらがなく、見逃しがない。その上、AIは、日夜増え続ける論文を、飽きることなく学習し続けている。こんなAIに勝てるわけがない。勝つ必要もない。
 医療分析AIが公開されれば、全国の医療施設が、最高峰の分析をものの数分で受けられるようになるのだから。

人類に残る、最後の仕事

 先日、「ある先生は、人工知能は読解力を持ちえないとおっしゃった。想像力だって持てないでしょう?」と質問された、「残念ながら、読解力も想像力も人間を超えます。その辺の、ぼ~っと生きている人間よりははるかに」と私は答えた。「それじゃ、人間には何も残りませんね」と悔しそうな顔をなさったので、「人間には、しあわせになる権利が残ります。人工知能は、想像力を発揮して、芸術作品を作ったり、一流シェフ並みの創作料理を作るようになる。ただ、それを美しいと思ったり、美味しいと思ったり、気持ちいいと思ったりはできない。人工知能にとっては、単に回路を経由した出力に過ぎないんです。人間の判定があって、初めて正解なのを知るだけ。命も痛みも五感の快感もないAIは、どこまでいってもただの道具です」とお話しした。「しあわせになることこそが、人類に残される最後の仕事になるかもしれませんね」と。
 人工知能は、自らの出力を判断する感性を持たない。自らの出力によって、人がしあわせになることで、自らの正しさを測るしかない。となると、しあわせ上手なセンスのいい人間と暮らした人工知能は、「人がしあわせになるすべ」を知っている人工知能ということになる。美味しいものを美味しいと感じ、美しいものを美しいと感じる達人は、その感性そのものが価値を生む。「○○さんと一緒に暮らした人工知能」に付加価値がつく時代がくるはずである。
 いのちをかけて、しあわせになる。心を痛める。この機能が人間だけにある限り、人類の存在意義は揺るがない。AIは、道具にしか過ぎないのである。
 人間らしく生きる。おそらくそれが、人類に残された究極の仕事である。

つながりVol.33、冬号(2020年1月発行)掲載記事より