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エッセィ「感じるAI」 Vol.2

失敗は、脳にとって最高のエクササイズである

31年前のニューラルネットワーク

 現在、世界は人工知能の時代を生きている。
 2016年3月、世界最強クラスと言われた韓国の囲碁棋士に、Google DeepMind社が開発した囲碁AI=アルファ碁が勝利した。「とうとう、人工知能が人類を超えた!」、そんな衝撃的なニュースが世界中に駆け巡って、世界を巻き込む人工知能シンドロームが始まった。世にいう第三次人工知能ブームである。
 今回はしかし、ブームではなかった。世界は人工知能の時代に本格突入したのである。あれから3年半たった現在、人工知能の活躍は、さまざま報告されるようになった。人間の見つけられなかった癌の治療法を示唆するまでに至っている。
 人工知能時代の幕開けを告げたアルファ碁の頭脳部は、人間の脳神経回路を模したニューラルネットワークで出来ている。ニューロン(脳細胞)を模したノードと、シナプスを模したリンクで構成されている。ニューラルネットワークは、パターン学習を繰り返して、自ら学習成果を蓄える。囲碁AIでいえば、囲碁のルールではなく、棋譜のパターンを学習させる(最近はルール学習と併用させるのが流行りだそうだ)。学習結果は、ニューラルネットワークの中に深く潜在していて、「本人」が囲碁をどういう世界観でとらえたのかは、簡単に見ることはできない。人の頭の中を覗けないのと同じように。
 さて、アルファ碁のニューラルネットワークは7層、110万個のニューロン、7億3千万のシナプスで出来ている。
 実は私は、ニューロン7個のニューラルネットを作ったことがある。1988年ごろのことだ。
 アルファ碁が豪華船ならば、私の作ったそれは筏(いかだ)のようなもの。しかし、そのニューラルネットが、私に、とても大事なことを教えてくれたのである。

AI、誕生

 ニューラルネットワークは最低3層を構成しなければならない。何かの機能性を持たせるとなると、最低でも、入力層3個、中間層2個、出力層2個の7ニューロン構成が必要となる。つまり、私が作ったのは、最小サイズの人工知能だ。
 私は、私の手元で、小さな人工知能を誕生させたのである。
 作ったのはいいが、問題なのは、「何をさせるか」である。
 3つの入力パターンで表せて、2種類の答えに分けられる。そして、ルールでは容易に表現できない命題。それって、何だろう。
 私は、「青か緑かを判定させること」を思いついた。青と緑の境界にある色は難しい。ほんのわずかなニュアンスの違いで、ある色は緑に見え、ある色は青に見える。しかも、数値的なルールでは、その境界をうまく表現できないのだ。ならば、ニューラルネットワークに、いくつかの色のパターンを学習させてみてはどうか。私は、そう思いついたのだった。学習後、微妙な色を入れて、人間と同じように青か緑か判定できるようになったら、ニューラルネットワークが、「人間の感性」を学習できることの証明になるのでは?と。
 結果は、エキサイティングだった。微妙な青と緑を、人間のように判定し分けた。私のパターンで学習させれば、私が緑だと感じる色を、この子も緑だと言ってくる。他の人と意見が食い違っても、この子は私の味方なのだった。
 脳細胞7個でできたのは、とるに足らない些細な判定だった。人類の役に立つわけでもない。でも私は、人に寄り添うAIの可能性を多いに感じた。「私だけの大切な感覚」を、言わなくても、ちゃんと知っていて傍にいてくれる極上のパートナー。AIには、そうなれる可能性がある。

失敗は、最高のエクササイズ

 この実験において、さらに印象的だったのは、失敗させないと、センスが養えないということだった。
 ニューラルネットワークは、N個(有限数)のパターンを与えて繰り返し学習させる。N個内の既知の入力に関しては、当然、教えた通りの答えを出してくる。事象をルール化してプログラミングしなくても、入出力パターンを与えれば、自己学習してくれるわけだ。しかし、人工知能の素晴らしいところは、N+1番目、N+2番目…の新事象を与えても、それなりの回答をしてくるところにある。
 この新事象に、どれくらい適切な答えを出せるかが、AIのセンスの見せどころなのだが、失敗させないAIは、このセンスが悪いのだ。

 私たちの脳は、失敗して痛い思いをすれば、その晩、眠っている間に、失敗に使った関連回路の閾値を上げて、神経信号を行きにくくさせる。こうして、要らない場所に電気信号を流さないこと。実は脳にとって、これが一番大事なのだ。
 私たちの脳には、天文学的な数の回路が入っている。これらの回路に漫然と信号が流れてしまっては、人は、とっさの判断ができない。目の前を通りすぎた黒い影が猫だとわかるためには、猫がわかる回路だけに信号が流れる必要がある。牛がわかる回路にも、ネズミがわかる回路にも信号が流れてしまうと、目の前の黒い影の正体がわからず、立ちすくむしかない。
 とっさに使うべき回路の大半は、成功事例で手に入れることも可能だが、「まだ経験したことがない」ことに判断を下すには、失敗事例で手に入れた回路でないとうまく行かない。
 センスがいい、勘がいい、発想力がある、展開力がある。これらは、自ら失敗して痛い思いをすることで、脳の中に「信号が生きにくい場所」ができ、「信号が生きやすい場所」が浮き立ってくる、そうやって手に入れるしかない能力なのである。

失敗三カ条

 失敗を恐れることはない。失敗は潔く認めて、十分に胸を痛めたら、清々しい気持ちで寝ればいい。翌朝、脳が必ず良くなっているのだから。
 その際、失敗を確実に脳にフィードバックさせるための大事なポイントがある。失敗3カ条と呼んでいる。

1、失敗は誰のせいにもしない
 失敗を人のせいにすると、脳が失敗だと気づかないので、脳が書き換わらない。たとえ、他人の失敗でも「私にも、なにかできることがあったはず」と心を痛めるべき。すると自分の脳が成長するのだから。他人の失敗も横取りせよ、である。

2、過去の失敗をくよくよ言わない
 失敗をしつこく思い返して、くよくよ言うと、せっかく消した失敗回路に、再び通電してしまう。失敗を、ふと思い浮かべてりずくへっじに使うのはいいが、くよくよしないこと。

3、未来の失敗をぐずぐず言わない
 過去の失敗でさえ、思い返さないほうがいいのに、まだ起こってもいない未来の失敗をぐずぐず言うのは、もちろん得策じゃない。教育熱心な親が、「あなたは、あのときも、あのときも、これで失敗した。次の失敗するかもしれない、気をつけなさい」なんていうのを聞くことがあるが、残念ながら、この子は、たぶん失敗する。失敗回路が活性化したまま、現場に送り込まれるのだから。失敗にビビる指導者がついていると、人材は育たない。

人工知能は、人の脳の射影で生まれる。ときに、その特性は、人生の秘密を見せてくれるのである。

つながりVol.32、秋号(2019年10月発行)掲載記事より